寒い、硬い、痛い。
目を瞑ったまま思い切り顔をしかめ、両足をお腹に引き寄せるようにして丸まる。すると、全身がミシミシと軋み、少しでも動かそうものならば痺れるような痛みに変わる。手足の先は感覚がないほど冷え切っていて、そちらはそちらで痺れている。
どうしてこうなったのか、未だ目を瞑りはっきりとしない頭で考えていると、脳裏にゆらりと二つの青い目が浮かんだ。

思わずハッと飛び起きる。
辺りにはゴウンゴウンと風のような地鳴りのような音が響いており、金属製の板をつぎはぎにしたような床と壁、そして分厚い窓ガラス越しには、星空が映し出されていた。

暗くて細部まではよく見えないが、何か乗り物の中のようだ。あの男にどこかに連れていかれる最中なのか。こんな乗り物には乗ったことがないし、どんなものなのか検討もつかない。天人で溢れかえる故郷で、空飛ぶ鉄の船は見たことがあったが、まさかそんな馬鹿な。

痺れる体をなんとか起こして、窓辺にふらふらと近づく。そっと冷たいガラスに両手をつけて外を覗き込んでみれば、そこには海のように、いやそれとは比べ物にならないほど広大な星空が辺り一面に広がっていた。

たらりと嫌な汗が伝う。私の予感は的中してしまった。いつだったか、月を目指して宇宙旅行がしてみたいだなんて夢見たことがあったが、こんな形で叶うなんて望んでいない。それに、拉致された先が宇宙だなんてスケールが大きすぎる話はない。
これはきっと悪い夢だ。あの男も、あの時の血溜まりさえも、全て悪い夢なんだ。
そう思い込もうと頭を抱えてその場にうずくまった時のことだった。


「…大丈夫?」


少し遠慮がちに後ろから声をかけられ、肩をビクリと震わせた。この声には聞き覚えがある。間違いなくあの男、私を気絶させたあの不気味な包帯男の声だ。
恐る恐る振り返れば、この4畳ほどの狭い船内の隅、積まれた木箱に座り壁にもたれている男が見えた。

ただ私の記憶してる男の姿とは全く異なり、あの不気味な包帯はなく、代わりに星あかりに照らされた青白い肌に、キラキラとした鮮やかな赤毛をひとつに編んでいる青年がいた。星明かりの中で黙ってこちらを見つめる様は、まるで絵画のような神秘ささえも感じられた。
と、そこで青年に見惚れている自分に気がつきはっとする。


「こ、ここはどこなんです。私をどうするつもりですか」


慌てて身構えた私は、声が震えそうになるのをなんとか抑えながら言った。
だがその青年はそれに答えず、そっと瞼を閉じてからまたゆっくりと目を開き、徐に立ち上がった。そうしてまたあの時のように、一歩一歩私の方へと歩み寄ってくる。
だが、すぐに後退りをし始めた私を見て、青年は少し驚いたような困ったような、微妙な顔をして立ち止まった。


「残念ながら、ここは君の星からかなり離れたところだよ。君は、俺のもとで働くために攫われたんだ」

「…働くって、何をさせる気なんですか」


確かこの人は私を攫う前に、もっといい仕事を紹介してあげるだのなんだの言っていた気がする。私は花屋だ。仕事といっても花を育てて売ること以外の仕事スキルなんて持ち合わせていない。強いて言うならば掃除くらいなもんだが、まさか掃除婦を雇うためにわざわざ違う星から人を拉致してくるわけがないだろう。


「詳しくは母艦についてからするから、まずは体を休めなよ。疲れたろう?」


人を攫っておいてどの口がそんなことを言うのか。白々しいにもほどがある。どうせいかがわしい行為をさせようと拉致してきたに違いない。それならば完全に人選ミスだ。
警戒心を高めた私は、キッと睨んで更に青年から距離をとる。

その様子に、何を言ってもダメだと判断したのか青年は肩をすくめる。そして、なるべく私を警戒させないようにか、ゆっくりとした動作で足元に落ちていた布の塊を拾い上げた。
あれは確か、あの時彼が羽織っていたマントだ。先ほどまで私が転がっていた床に一緒に落ちていたということは、もしや私に掛けてくれていたのか?そんな気遣いができるということは、そこまで悪い人というわけでもないのか?いやでも平気で人を宇宙の彼方まで拉致する人がいい人なわけがないし、でもなんだか顔がすごく整っていてよくいる悪人面でもないし、もしかしてもしかすると。

平和ボケして混乱した私の頭はそんなことをぐるぐると考えていた。身構えたまま動かないでいる私を見て、青年はいいことを思いついた、と嘘くさい笑顔を見せた。


「可哀想な君に大サービス。ほら、この手錠で俺が自分の両手首をこうやって拘束しておくから、怖がることないだろ。どう?」


どこからともなく頑丈そうな金属製の手錠を取り出した青年が、笑顔で自らの手首に手錠をかけて見せてくる。どうって何が、とツッコミたくなるのをぐっと抑えて睨みつけた。


「そんなことしても、私を無理矢理拉致して来たことに変わりはないじゃないですか!」

「それはそうだけど…危害を加える意思がないってことはわかってくれる?」


まるで、何を言われても首を横に振り続ける子供と、それをなんとか説得しようと苦戦する大人の会話のような雰囲気になってしまった。本当に、調子を狂わされる。私は被害者だっていうのに。そんなことを考えていると、彼は何かをコンッと私の足元まで蹴飛ばした。
黒く光るそれは、手錠の鍵だった。


「あと1、2時間で母艦に着く予定だから、とりあえずそれまでその鍵は君に預けておくよ」


まぁ危害を加えるつもりならとっくにそうしているだろうし、その母艦とやらについてからことに及ぼうとしているとしても、とりあえず今は安全だということだろうか。
だが裏を返せば、今は安全でも母艦についてからはわからないということだ。ならばこの1、2時間の間に私にできることって…?


「こんな宇宙でどこにも逃げ場なんてないよ。変なことは考えない方がいい」


まるで考えを見透かすように彼が言う。私ってばそんなにわかりやすい顔をしていたのか。ふん、とそっぽを向きつつその鍵を拾う。
もしも私が怪力だったのならば、このままこの鍵をへし折ってどこかに捨ててしまえたろうに。そうして手錠が外れずに困って泣いてしまえばいいんだこんなやつ。


「あ、そうだ。自己紹介がまだだったね」


唐突に青年が言う。聞いてないし、聞きたくもないし、言うつもりもないっていうのに勝手に話を続けていく。


「俺は神威。とあるデカい組織に所属しててね、その中の何というか…派閥みたいな感じかな、そこのトップなんかをしてるんだけど、みんなからは団長って呼ばれてるよ」


と、まるでハッキリしない自己紹介をしてくる。怪しさ満点の謎の組織に所属してる幹部的な存在ということだろうか。いやでも団長なんて呼ばれてるから、何かの軍団か。サーカス?応援団?そう言われてみれば学ランが似合いそうな…

モヤモヤと私が考えていると、さぁ君は?みたいなキラキラとした目でこちらを見つめてくる。仕方ない、とため息をついて私はぶっきらぼうに言った。


「…地球で花を売ってたのに突然拉致された、ただの人間の女ですけど」


皮肉たっぷりにそういえば、『え〜名前教えてよ〜』などと呑気なことを言っている。
それにしても、青年の見た目は私の知る地球人のそれとは異なる。深い海の色をした目、透き通るような白い肌、そして柔らかそうな鮮やかな赤毛。まるで人形みたいに整った顔立ちは、少し恐ろしくもある。きっと私の知らないどこぞの星の天人なんだろう。
しばらく青年を観察していると、そんなに見られたら照れるなぁ、などと言ってきたので慌てて目を逸らして窓の外を見た。



あぁ、私はこれからどうなるのだろうか。あと数時間後には命があるかどうかもわからない。
そんな不安に押しつぶされそうになりながら、ただどこまでも続く星々を眺めていた。

その間神威と名乗る青年に、何度かくだらない質問を投げかけられたが全て無視して窓の外を見ていると、次第に眠気が襲ってきた。

ここで寝たらいけない、と頭の中で警告音が鳴っているのに、疲れているのか私の図太い意識は少しずつ遠のいていく。
完全に眠りに落ちそうになった瞬間、ぽすん、と私の頭が温かくもしっかりとした何かに支えられて意識が急浮上した。


「ちょ、ちょっといつの間に、近づいてるんですかっ」


うつらうつらとしている間に左から距離を詰めてきた男が、私の頭を己の右肩にもたれさせようとしていたのだ。


「首がつらそうだから、肩を貸してあげようと思って。それにほら、寒いし」

たしかに船内は冷え切っていたが、この青年とはこんなところで互いに暖を取る間柄ではない。ましてや初対面の男の人の肩にもたれるだなんて。

恥ずかしくなった私が慌てて距離をとろうと立ち上がりかけた時、突然船全体が大きく横に揺れた。その弾みで今度は青年の方に思い切り倒れ込んでしまう。


「おっと」


青年側も想定外の揺れと、手首の拘束のせいで私を支えきれず、一緒に床に倒れ込んでしまった。
自然と私が押し倒したような形になり、その体勢の恥ずかしさにかぁっと熱が顔に集まってくる。青年は青年で、私の下で少し驚いたように目をぱちくりとさせている。
早く退かなくてはと思った瞬間、ギギギと重たい扉が開く音と共に、暗かった船内に眩い光が差し込んだ。
その眩しい光の先にぼんやりと別の人影が見えるが、逆光のせいで全く顔が見えない。

2人してしかめ面でその眩い扉の方を見ていると、その人影が口を開いた。



「このすっとこどっこい…どこで油売ってるかと思いきや、なーに女に捕まってるんだよ」


しぶい中年の男の声に体が固まる。誰だこの人、というかもしやもう母艦とやらに着いてしまったのか?もうそんなに時間がたってたのか?こ、殺されるのかな私、いやだ、そんなの、どうしたら。

そんな半ばパニック状態の私に思いついたことは、この神威という青年を盾にすることだった。


「こ、こっちに来ないで!この人がどうなっても知らないから!!」


私の下敷きになっていた青年を無理矢理引っ張り起こして、とりあえず青年の首に後ろから腕を回してグッとひいた。


「ちょっと、苦しいよ」

「あなたは黙ってて!」


この人拉致する時に私にしたことを忘れたのか。私はもっと苦しい目に遭って気絶までしてるんだからこのくらい我慢してほしい。
震える腕から、力を抜かないように精一杯中年男を睨みつける。
だが中年男は、そんな私たちの様子を見て、怯むどころか珍しいものをみたかのように一瞬目を見開いたあと、すぐに笑い始めた。


「随分威勢のいい姉ちゃんに捕まったもんだな」


そういった中年男の背後から、ぞろぞろと男たちが姿を表す。5人、6人、いやもっとだ。
あぁ終わった。無理だこんなの。勝てるわけも逃げられるわけもない。

青年の首に回していた腕は、いつの間にか青年の体にしがみつくように抱きしめており、私の体は肉食動物に取り囲まれた小動物のように、カタカタと小刻みに震えだした。
気力を失った私の腕から、するりと青年が抜け出して立ち上がり、ゆっくりと私の方を見下ろして言った。


「ようこそ、春雨第七師団へ」

BACK

続きは移転先に載せていきます。







[TOPへ]
[カスタマイズ]

©フォレストページ